2015年09月23日
無財の七施
お彼岸でお墓参りと親戚のお仏壇参りに出掛け、午後3時から地元の南大萱町戦没者追悼法要に参列してまいりました。戦後70年という年月が経ったわけですが、遺族の方たちはいつまでも悔いが残ることでしょう。あの悲惨な戦争は二度と繰り返してはならないと多くのご来賓の方から追悼の辞が述べられました。御霊に哀悼の誠を捧げるものであります。
住職より無財の七施という法話があったので書き記しておきます。
「布施」と聞くと、法事やお葬式の時などにお坊さんに差し出すお礼のことをイメージされる方が多いように思います。しかし、本来それだけを示す言葉が「布施」の意味でないことをご存知でしょうか。
布施というのは「布」分け隔てなく「施」ほどこすという意味です。見返りを期待しない行いです。
私は地位も財産もなく布施は縁遠いものですとおっしゃる方が時々おられますが、見返りを期待せず世の為、人の為に行うことが布施だと考えると、心掛け一つで誰でも行えることではないでしょうか。
①眼施(がんせ)
いつも温かく優しい眼差しを施すこと
②和願施(わがんせ)
いつも笑顔で接すること
③語辞施(ごんじせ)
優しく、時には厳しく叱る愛情のこもった言葉
④身施(しんせ)
自分の身体を使って手伝い、助けること
⑤心施(しんせ)
思いやりの心を持ち、相手の立場に立てること
(心配り・気配り)
⑥床座施(しょうざせ)
座席や場所、地位を譲ること
⑦房舎施(ぼうしゃせ)
家や部屋を提供すること
持っている者が持っていない者に与えることにより〜してやったという気持ちがどこかにあると、いつか見返りを期待する貧しい心が芽生えます。
相手の喜びを我が喜びとし、相手の苦しみを我が苦しみとする心に人としての道が開かれ、その布施を実践するとき自ずと幸せを与えられるのではないでしょうか。布施の行いは、少しの意識と努力により誰でも行える行です。 気づいた時が始める時!
以上、法話の全文です。良いとされることは実践してまいります。
住職より無財の七施という法話があったので書き記しておきます。
「布施」と聞くと、法事やお葬式の時などにお坊さんに差し出すお礼のことをイメージされる方が多いように思います。しかし、本来それだけを示す言葉が「布施」の意味でないことをご存知でしょうか。
布施というのは「布」分け隔てなく「施」ほどこすという意味です。見返りを期待しない行いです。
私は地位も財産もなく布施は縁遠いものですとおっしゃる方が時々おられますが、見返りを期待せず世の為、人の為に行うことが布施だと考えると、心掛け一つで誰でも行えることではないでしょうか。
①眼施(がんせ)
いつも温かく優しい眼差しを施すこと
②和願施(わがんせ)
いつも笑顔で接すること
③語辞施(ごんじせ)
優しく、時には厳しく叱る愛情のこもった言葉
④身施(しんせ)
自分の身体を使って手伝い、助けること
⑤心施(しんせ)
思いやりの心を持ち、相手の立場に立てること
(心配り・気配り)
⑥床座施(しょうざせ)
座席や場所、地位を譲ること
⑦房舎施(ぼうしゃせ)
家や部屋を提供すること
持っている者が持っていない者に与えることにより〜してやったという気持ちがどこかにあると、いつか見返りを期待する貧しい心が芽生えます。
相手の喜びを我が喜びとし、相手の苦しみを我が苦しみとする心に人としての道が開かれ、その布施を実践するとき自ずと幸せを与えられるのではないでしょうか。布施の行いは、少しの意識と努力により誰でも行える行です。 気づいた時が始める時!
以上、法話の全文です。良いとされることは実践してまいります。
Posted by こんちゃん。 at 18:39│Comments(0)
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