2017年04月19日

真田丸

 今日は、ホテルロビーに8時40分集合でみなさんと長野市議会事務局の方にご案内いただき、NHKの大河ドラマで放映された真田氏について学んでまいりました。

 六文銭紋は真田氏の家紋で六文銭とも呼ぶ。紋の意義は、仏教説話の「六道銭」によるもので、六道とは地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天上道を指し、六道の世界をめぐり衆生を救済するため六地蔵に捧げる報賽銭が六道銭である。これを家紋としたのは、柩に六道銭を収める風習にのっとり、戦いにのぞむ武士の決死の覚悟を表したといわれている。
 
 真田氏は、現在の上田市町田町が発祥の地で、真田郷を名字の地とする滋野姓海野氏の一族です。真田氏の中で歴史上明確にその存在が確認されるのは、戦国時代の真田幸綱のころからである。
 幸綱は武田信玄のもとでその才能を発揮し、名をとどろかせました。幸綱の長男・信綱と二男・昌輝が長篠の戦いでともに戦死すると、三男昌幸がが真田家を継ぎ、上田城の築城など、真田家繁栄の基礎をつくりました。

 昌幸は長男・信之、二男・信繁(幸村)と共に、戦国乱世の中で武略と奮戦によって、武門真田の名を高めました、1600年の関ヶ原の戦いでは親子・兄弟分かれて戦い、徳川の天下となって以降、信之は父の上田領を与えられ、昌幸と信繁は現在の和歌山県九度山に蟄居させられました。昌幸はこの地で亡くなり、信繁は大坂冬の陣で徳川軍を悩ませ、夏の陣で戦死しました。

 1622年に信之は上田から松代10万石の藩主として移り、その後、松代藩は真田氏により10代役250年の間、信濃の雄藩として治められました。

 という説明を聞きながら、松代城跡、真田宝物館、真田邸、文武学校を見学させていただき真田家ゆかりの地で歴史文学を学ばせていただきました。

 昼食後に解散となり夕方無事帰宅しました。明日は執行部の説明などがあり役所に向かいます。

 今日はタブレットのロック解除ができず機能しません!!困っています!!

真田丸


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Posted by こんちゃん。 at 21:19│Comments(0)その他
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